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「批判のマナー」を教えてくれた教授の一言が、非常に深いと話題に

こんなブログの記事が、共感と話題を集めている。

「君は批判する権利があるか? 批判のマナーを教えてくれた教授の一言が人生でめちゃくちゃ教訓になっている」

作者は宮城県仙台市在住で、大学院生に在籍し政治学を研究している佐藤大地さん。自身の体験から「批判」のあるべき姿について一石を投じる記事だ。

talking man

多くの人がSNSを使うようになってから、批判的な言説を目にすることが多くなった。人々の行動が急に変わったのではなく、SNSが今まで目に見えなかった、無数の批判を見えるようにしただけに過ぎない。

確かに欠点や間違いを指摘することは大切。だが、実際に意味のある批判をするためには、一体どうすればいいのだろう?

佐藤さんの記事は、そんな問いにすっきりと答えている。

stairways to ? (cc)

 

ここからは、佐藤さんと教授の実際のやり取りを交えて紹介したい。長文だが、じつに奥が深い内容だ。

【佐藤さんのブログより】

ぼくは意気揚々と相手を「批判」したつもりでいました。

「この部分は事実認識と甘いんじゃないですか。この部分に対してのヨーロッパの視野は狭すぎませんか。 ……ということでちょっと良い主張とは思えませんでした」

自信満々のぼくの「批判」に教授が言った一言は、ぼくが批判を考える上で大学生活6年間の中で今でも大事な言葉です。

Difficult meeting

大学のゼミでの発表のとき、EUについてある著書を読んできて、それについて自分なりに著者の意見を読んで、自分なりに批評・批判せよという課題が出ていたときの話です。自信満々に先のような意見を言ったとき、教授からこう指摘されました。

 「ちょっと読み込み甘いというか、もう少し著者の意見に耳を傾けましょう」

え、なんで。きちんと読んで批評したんだけど……そう思いました。

そのときに教授が言った次の一言が今でも記憶に残っていて

「佐藤さんの指摘している点はある意味で正しいかもしれません。けど、著者の本当に言いたいこと、何を言いたいのかということを本当に理解しようとしてから、そういう点を指摘してますか?」

いや、ええっと……

「その人が本当に言いたいことを理解するつもりで意見を聞き
 その言いたいことを結論づける上で根拠や理由に不十分な部分があるなら、それは指摘して『あげる』必要があるんです」

そこでハッとする私。

自分の意見は重箱の隅をつついて、ただ「間違ってやんのー。 やーいやーい、減点〜」と言っている子どもの頃と同じだったということ。その著者が言いたいこと。EUをきちんと機能させて、ヨーロッパを、世界を、できる限り幸福にしよう。そしてそのためには・・・・。

そんなシンプルで、前向きなエネルギーを、ぼくは理解しようとしていなかったのです。その上でただ、わけも分からず、足をひっぱろうとしていただけなのでした。(ぼくの批判が果たして足を引っ張るほどのエネルギーがあるかどうかはさておき)

wolves

そもそも批判は暇つぶしではない

ぼくはそのとき最初から「批評せよ」「批判せよ」ということだったので、著者の意見の甘いと思ったところを指摘しようと思って文献を読んでいて、最初から批判ありきな状態では相手の本当に言いたいこと、実現したいことなんて気にするわけありませんでした。

そもそもぼくらが議論をするのは「時間」という大事な限られた資源を使って、①少しでも得しようとか②少しでも楽しくしようとか③少しでも誰かを救おうとか④少しでも世界をより良くしようとか

そういう「前進」や「変化」を生み出すためで、「正しい」「間違い」とかの点数付けをして今日の暇つぶしにあれこれ言うためではありません。大学や企業での議論なんてなおさら。と。

Spatial

相手の小さなミスを指摘して減点させて喜んでいても意味がないのです。それは相手への優しさだけではなくて、自分にとって大事ではないことに時間を費やす必要がないということにもつながります。

相手の真意や実現したいことへの方向性や、道筋を理解しないと相手を「こうやって進んでみたら?」と前に進ませる上で、あるいは相手を「ちょっと待て」と引き返させる上で全く意味がないのです。

その方向に進みたいのはわかっていても、その道は危ないからダメだとか、間違ってるからダメだ。それが思いやりや情熱を持った本気の意見になるのでは?自分も時間をかけるほど本気になります。それが、本当の批判なのです。

good advice

自分が批判する側になるとき
気をつけたいこと

批判するということは「違うよ」と言われているようなもので、多少なりとも苦い意見になります。批判は、苦い、良薬。だからその良薬の飲み方と、飲ませ方は気をつけたいものです。

自分が批判される側であればになれば、もしも相手が「本当に言いたいことや、実現して欲しいと思っていることを理解しようしている人なんだ」と、多少苦い意見でも耳を傾けたいと思うもの。

けれど一方で、自分が批判する側なら、そういう相手の本当に言いたいこと、実現してほしいことにきちんと耳を傾けてから、意見をしたいし、できることならその理解したいという気持ちを言葉で丁寧に表したいと思いませんか?
だって調子がいいときは自分と違うことは素直に聞けるけど、
嫌な気分でいるとき、ぼくらはいつものように苦い意見をしっかり聞けなくなったりする。苦い薬も飲める調子の良いときと、飲めない悪いときがあるんですから。

だから、言葉にしてあげたい。
「あなたの言いたいことは理解したいと思った上で、言いたいんだ」と。苦くても、良薬であるときちんと説明すれば、相手も手を伸ばしてくれるかも知れません。

Helping Hand

教授に言われたその一言の経験から大学でも、仕事でも、友人関係でも、SNS上でも突発的に相手に何かを指摘しよう、意見しようとしたときは、こう一度胸に聞いてみるようになりました。

本当に相手の言いたいこと、やりたいことを自分は理解しようとしているか?その上で、意見を言おうとしているか?」と。


Licensed material used with permission by 人生かっぽ — 佐藤大地のブログ


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