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【Amazon創業者はマックでバイト?】世界の成功者が「20代」でやっていたこと

世界のトップリーダーは
20代の時に何をしていた?

世界で大きな功績を残しているトップリーダー達、しかしどんな人間だって最初からリーダーだった訳じゃないはず。例えば、20代の頃、一体何をやっていたんだろう?普通のアルバイトをこなしていた時代やぶっ飛んだ人生も含めて、10人の物語を紹介する。


1.マックでバイト
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85singo_8301882207_f32976d9b9_bPhoto by Ethan

若き日のアマゾンの創業者「Jeff Bezos」氏は、マクドナルドの「グリルマン」として働いていたようだ。ワシントンポストに掲載されている内容によれば、仕事が上手くできず、レジ係は任せてもらえなかったのだそう。本人はこう語る。

「最初の週は、ケチャップを出す機械を詰まらせて約20リットル位をキッチン中にぶちまけてしまった。掃除して出てけと言われたよ。仕事で一番気を付けてたのは、忙しいラッシュ時にどれだけペースを乱さずにグリルをまわせるかだった」

2.営業マンだった
(ウォーレン・バフェット)

th_スクリーンショット 2015-01-05 19.11.47Photo by wikipedia cc

世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの筆頭株主であり、同社の会長兼CEOを務めるウォーレン・バフェットは、ネブラスカ大学を卒業後「Buffett-Falk & Co.」で投資セールスマンとして働いた後、セキュリティアナリストになる為に26歳のときにオマハからNYへと移り住んだ。

コロンビア大学で、経済学を学んだ後、ウォールストリートでアナリストとして従事、その後オマハへと戻り投資信託会社「Buffett Partnership Ltd」を起業した。その後「バークシャー・ハサウェイ」社と提携し、今に至る。20世紀最も成功した人物と言われている彼はこう語る。

「自分の視点を失ってしまうことはたやすい。しかしオマハでは、自分の視点を維持することがすごくカンタンなんだ」

3.法律を学んでいた
(ヒラリー・クリントン)

85singo_HclintonmPhoto by Roger H. Goun

彼女は夫ビルクリントンに出会う前から、その行動が広く知られていた。イエールの法律学校の学生だった彼女はイエール児童学習センターを手伝いながら、児童虐待について学び、病院などで福祉活動を行っていた。1973年に23歳で法学博士を取得し、数年後イエール児童学習センターで働き始め、25歳の時、彼女の最初の著書「Children Under the Law」を出版した。この時の記事は、当時まだ一般的に知られていなかった「子供の権利」を語るうえで非常に広く引用し議論される対象となった。

4.仕事をクビになり
友人と5人でルームシェア
(マーク・キューバン)

アメリカの大物実業家、マーク・キューバンの口癖はこうだ。「ボクに出来るなら、君にも出来る」3つのベッドルームしかない部屋で5人の友達とルームシェアしていたようだ。彼はベッドさえ持っていなかった。

クビになった理由が特徴的だ。当時、働いていた会社の上司は全く働いているようには思えなかった。外に出て物を売ろうしない。しびれを切らした彼が無断で外出し営業をとってきた時、彼の上司は無断でオフィスを出たことに激怒し、彼をクビにしたそうだ。

5.ネクタイを作っていた
(ラルフ・ローレン)

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ラルフ・ローレンはビジネス界に入るにあたり、一度名前をかえている。15歳まで持っていた元の名前のスペルには「shit」が含まれていたため、様々な苦労があったようだ。

子供の頃、億万長者になりたいと思っていた思いとは反対に、彼は経済学を学んでいた大学をドロップアウトする。その後24歳まで兵役に従事し、アメリカの老舗ブランド「Brooks Brothers」へ就職した。

26歳のとき俳優の「Douglas Fairbanks Jr」が着用していたヨーロッパスタイルのネクタイを見て起業を決意し、退職。エンパイアステートビルの中で手形振出人の仕事をしながら、ボロ生地を利用してネクタイを作っていた。その後、「Polo」というラベルでオリジナルデザインのネクタイを販売開始。

6
地域活動に参加
(バラク・オバマ)

1983年に政治科学を学んでいたコロンビア大学を卒業し、シカゴへ移住。地元の鉄工工場が閉鎖し、職にあぶれた低所得者のコミュニティの法的収入を手助けする団体を手伝い、職業訓練のプログラムを作成。その他にも進学指導プログラムやテナントの権利団体、南側の公共住宅プロジェクトなどのサポートを行っていた。27歳でハーバードの法律学校に入学した。

7
退職・出産・離婚、そして鬱だった
(ハリーポッターの原作者)

ハリー・ポッターシリーズの原作者「Joanne “Jo” Rowling」氏は25歳の時、列車が遅れて止まっていた時間でハリーポッターのアイデアを思いついた。アムネスティ・インターナショナルのロンドンオフィスで秘書として働いていた彼女は、オフィスのパソコンでハリーポッターの作品を書いていたようだ。しかし彼女の人生は物語のように簡単ではなかった。

解雇された後、ローリングは結婚と離婚を経験、子供を持ちながら、母親の死に耐え、貧困にもみまわれたせいで、臨床的うつ病と診断された。1995年にシリーズの最初の本を出版、そして「ハリー・ポッターと賢者の石」は1997年に出版された。

8
自作のパソコンを設計
(スティーブ・ジョブズ)

85singo_7263883898_9593b1f3c3_oPhoto by  loran

20歳の時に半年をかけて自作のパソコンを設計。この当時、今のように簡単にパソコンが自作できる環境では無かったのは言うまでもない。21歳の時にアップルコンピュータを設立し、22歳の時にはAppleIIを販売し7年間で200万台以上売り上げた。25歳の時には2億ドルを超える資産を手にしていた。

9
その時点で、ソフトバンク設立
(孫正義)

20歳の時にカリフォルニア大学に編入、この時に試験の方針を変更させるために州知事に電話し、辞書を片手に時間無制限でテストを受け、合格している。この頃から異常な強い意志を持っており、22歳の時にアメリカでソフトウェア開発会社を設立。この時、元手になった1億円は、19歳の時に作った世界初の電子辞書の儲けだった。

25歳の時にコンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を設立。26歳の時に「日本ソフトバンク」を設立している。

10
独立して、稼いでいた
(本田宗一郎)

22歳の時に入社6年で自動車修理工場をのれん分けしてもらい独立。当時としては珍しい修理から関連部品の製造までこなしていた。25歳の時の収入は総理大臣より高く、当時の総理大臣の月給が800円に対し、彼は1000円以上の収入を得ていたようだ。

11
鉄道会社を解雇された
(カーネル・サンダース)

th_スクリーンショット 2015-01-05 19.15.19Photo by wikipedia cc

20歳直前、サンダースは機関士になる前に会社を解雇された。正義感が強かった彼は、会社で組合のためにも一生懸命働き、労働条件や保障をめぐって経営者と積極的に交渉した。そのため、会社にとって煙たい存在となり解雇された。その後、保険外交員、フェリーボート、タイヤのセールスなど40種に渡る職を転々とした。

Reference:New.Mic


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